<   2013年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧   

これからのブログについて   

焼却炉の話の途中ですが簡単な報告をしたいと思います。

このブログは「○○○(母の実名)と○○○(兄の実名)を探しています」というタイトルでした。この名前は本当に僕の生き別れの母と兄の実名を使っていました。僕の中に、本当に再会できたらいいなという気持ちも少しは有ったのですが、それよりもいつもの悪ふざけという意味合いが強いものでした。

一昨日の深夜にブログの方に非公開コメントで「あなたのブログの目的は達せられました」というちょっとかっこいい書き込みをいただきました。よくある悪戯かとも思ったのですが、その方が僕との連絡用にわざわざ作ってくれたというブログの記事の内容が非常に信憑深いものだったので、いろいろと詳細確認を取った結果、本当に僕の母親であることが分かり、昨日30年ぶりに電話で話すことができました。兄も健在であり、けっこう近所に住んでいるという驚きの事実も判明したりの慌しい数日間でした。

再会をできた理由は、母が自分の名前をネット検索したら、僕のブログのタイトル名が引っかかったというのが理由です。もういい歳になる母がエゴサーチをするという偶然がこの再会を生みました。その瞬間に母と兄に今までのブログを読まれてしまい、自分の初体験の詳細までばれてしまいましたが。まぁそんな感じでここで書ける範囲内の報告になりますが、本当に再会できちゃったということをお知らせしておきます。

となると、このブログは今後どうしたらいいのだろうかと考えました。一応母と兄に再会するまでの期間限定ブログという風にしていたのですが、そんな約束を守る気は毛頭無かったので続けていくことにしました。何よりまだブログを書くことでモテていません。ブログのタイトルを「○○○(母の実名)と○○○(兄の実名)が見つかりました」という名前にして続けていこうとしたのですが、母からのストップがありました。そこで考えたのが、何かあるたびに話題になるデスブログといわれるブログ。そのブログに書かれた人物や企業などはかなりの確率で不幸に見舞われるというブログです。そのハッピー版として、ブログのタイトルに書いたことが実際に叶うというブログにしたらいいのでは?と思いました。

ならば、また会いたい人を探そうと思い立ち、中学校の時にすごく仲が良かった友達。家族が占有屋をしていた友達。大型台風が直撃した日の翌日に家族で消えた友達。僕はその友達からメガドライブという存在を教えてもらい、SEGAの偉大さを教えてもらいました。その友達に会いたいと思ったのですが、書いている途中で実際そんなに会いたくはないなと思ったのでやめました。その結果これからしばらくの間は「小野真弓とラウンドワンに行きたい」という大味なブログ名で頑張りたいと思います。あまりにも長期間願いが叶わない時は、徐々にランクの下がった願い事がタイトル名になっていくと思いますが今後ともよろしくお願いします。
[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-23 14:25 | 私信 | Comments(2)

焼却炉 その3   

怒られる心配はないとは思いつつもちょっとは緊張して帰宅した。家族の様子は普段と何の変わりも無かった。夕食を一緒に食べている時に「学校から電話あったわ…もうあのお店行ったらあかんぞ…」と親父が注意してきたのに「分かった…」と短い返事をして耳のおばちゃんの件は終わった。しかしその後の「校長先生に感謝しいや…」という親父の言葉で一気に頭に血が上った。僕の中学の校長は僕の親戚の叔父さんだった。子供の頃からそんなに仲良くもなかったのに、中学校に入った僕のことを常に気にかけてくれていた。意味も無く校長室に呼び出されて「頑張れよ」と言われたこともあった。頼んでも無いのにそこまでしてくれた理由はいまだに分からない。

ある時、担任の先生のもとに「千葉君が本屋で万引きしてました。盗ってる所をこの目で見ました」というチクリがあった。目撃者は一学年上の不良グループの先輩。先輩は小学校の時からなぜか僕を目の敵にしていて、その時も無い話をでっちあげて僕を困らせようとしたのだ。担任と僕と先輩の三人で職員室の奥の小さな部屋で事実確認をしたが、実際に万引きなどしていなかったので簡単に先輩の虚言だと分かった。後々面倒くさくなるのは嫌なので笑顔で先輩を許して終わりにした。ところがその三日後に、泣き顔の先輩とお母さんが手土産にビニール袋いっぱいのたくさんのネクターのピーチジュースを持って家に謝罪に来た。そして「今回は本当にすみませんでした」と揃って床に頭をつけた土下座をした。その時に校長が裏で何かしたんだろうなと分かった。事実確認は取れなかったけども。

万引きの件のようなことはその後も何回かあった。頼んでも無いのに守られてる安心感。学校の最高実力者が味方。若干皇族に近い身分。最初こそ若干良い気持ちだったが徐々に気持ち悪くなった。中学校になってニキビがひどくなってきた僕。化け物の顔をした僕を可愛そうに思った校長に守られているような被害妄想で頭がいっぱいになった。校長のことが本当に嫌いだった。そんな奴にまた助けられたことへの嫌悪感と、その後に、過去にもう百回ぐらい聞かされた「アマレスがいかに素晴らしいか」という話を親父がまた始めたこと、常に抱えていた母親が居ない寂しさ、家の借金問題、いろいろな気持ちが合わさって僕を限界を迎えた。

僕は無言で席を立ち、裏庭に保管してあったエアガン2丁を取り出して応接間に向かった。そして棚に飾られているたくさんの優勝トロフィーの中から祖父の囲碁大会の物を安全な場所に避難させ、残された親父のアマレストロフィーに向かって至近距離から銃を乱射した。ボロボロになっていく親父の栄光。トロフィーの頂上に付いていたアマレスコスチューム姿の金色の人形が何体かはじけ飛ぶ。音を聞きつけて応接間に来た親父に対して「同じ話何回すんだよ。アマレスハゲ。このアマハゲ野郎」と罵った。その時に親父は初めて僕に鉄拳制裁をした。いつものようにタックルが来ると思って重心を落として構えていた僕の無防備な顔面にクリーンヒットした親父の全力のグーパンチで僕は意識を失った。次に意識を取り戻した時に僕は真っ暗な焼却炉の中に居た。

僕の話によく出てくるエアガンはサンタさんにもらったものだ。クリスマスに、枕元に置いたプレゼントを入れるための靴下の中に「銃が欲しい。2つ欲しい」とサンタさんへのリクエストの手紙を入れておいたら、翌年のクリスマスにエアガンを2つ手に入れた。小学生の息子からの「銃が欲しい」という手紙を読んだサンタ役の親父は自分の子供の行く末を本当に心配したそうである。親父は映画の「シティ・オブ・ゴッド」で銃を持ってギャング化する子供達を観て小さい時の僕を思い出したそうだ。偶然にも、親父をエアガンで撃ってたことを思い出しながら僕も同じ映画を観た。同じ映画を観た親子が、同じ思い出を共有したなんてすごく素敵なことではないだろうか。

余談として、前回に書いたような親父への陰湿な嫌がらせに加えてエアガン乱射などをしていたので、中学2年生の時に、精神科に行くようにと家族に勧められた。気が進まなかったので「診察を受けたらスーファミのソフトを1個買ってもらえる」という条件で病院へ。診察結果は「漫画と映画の…見過ぎですかね…」というものだった。田舎の精神科医は最高だ。病院帰りの車の中で、結果に納得のいかない顔をしていた親父に買ってもらったのが「樹帝戦記」。定価で9000円ぐらいした。あまりに高額だったのでどんなゲームなのか確かめようと思った親父が見守る中でこのゲームをした。全然面白くなかったのだけども、買ってもらった手前楽しそうにプレイして親父に気をつかっていたことを覚えている。
f0245642_19292362.jpg

[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-19 19:51 | 焼却炉 | Comments(10)

焼却炉 その2   

当時の親父との関係性について今回は書こうと思う。

祖父と親父に対する反抗期は小学校の中学年から始まっていた。2人とも男尊女卑的な考えが少し強い人なので、家族で唯一の女性である祖母に対して辛く当たることが多かった。母親の居ない僕を甘やかし気味にしている祖母の態度も気に入らなかったようだ。祖母のおっぱいを母親のおっぱいに見立てて吸っていたぐらいのおばあちゃん子の僕にとっては、それだけで2人のことを嫌いになるのに充分な理由だった。

でも祖父はなんだかんだ言っても、孫の僕に対して優しい時も多かったし、裏庭を通りかかった近所の宗教をしている家族が「良い機会だから…」と勧誘をしてきた時に、庭に置いてあった祖父が趣味でしていた椎茸栽培のホダ木を「罰当たりが!帰らんか!」とその家族に投げつけていた男前な姿は、子供の僕の目には格好良く映ったりもしたので尊敬していた。
f0245642_20575189.jpg


親父は僕の世話は祖母に任せっきりだった。というよりは、子供にどう接していいのかが分からないような感じだった。休みの日に遊びに連れて行ってくれることも少なかった。小学校低学年の時に「空を飛びたい」と子供らしいことを言った僕の背中に、親父はオニヤンマを数匹入れてきた。背中に感じるトンボの気持ち悪い感触で泣き叫ぶ僕に「もう少しで飛べるぞ!飛べるぞ!」とラムネを飲みながら笑っていた親父の顔をしっかり覚えている。床を転げ回ったのでトンボはぺちゃんこに潰れ僕の背中にベットリと貼り付いた。その死骸を祖母が丁寧に取ってくれてる横で、親父はNHKのど自慢を大きな声で自己採点しながら見ていた。そんな風にたまにいじめられることを当時は恨んでいたのだが、自分が三十歳を越えた今になって思うと、あの時は親父も大変な時期だったんだろうなと普通に許せてしまうので不思議である。

小学校高学年になって身体が少し大きくなると、親父への直接的な反抗活動を開始した。よく取っ組み合いを仕掛けたのだが、うちの親父は大学時代にアマレスでオリンピック候補になりかけたぐらいの経歴を持っている人なので、アマレス流のタックルでいとも簡単に僕を地面に叩きつけ、上から全体重をかけてきて、それに耐えれなくなった僕が「まいった」と言って喧嘩はいつも終わった。
f0245642_20581714.jpg

親父はあんまり感情を出さないタイプの人だけど、喧嘩の時はいきいきとしていた。今思えば喧嘩では無くて、こういう形でしか僕とコミュニケーションを取れなかったのかもしれない。親父にもいろいろあったのだ。でもそんなことをまだ分からない僕は親父への反抗を続ける。まともにやっても勝てないことを悟った僕は、陰湿な嫌がらせと遠距離攻撃で親父に立ち向かうことにした。

毎週土曜日に、親父と祖父は囲碁を打つ習慣があった。囲碁には白石と黒石が有り、基本的に弱い方が黒石を使うことになっている。祖父は県大会で優勝するぐらいの実力者だったので、いつも親父が黒石を使っていた。なので、黒石を入れておく碁笥(ごけ)という入れ物の底に事前にマヨネーズを注いでおき、対局終盤で石を取ろうとした親父の指がマヨネーズだらけになるような嫌がらせをよくした。マヨネーズに飽きたら熱湯を注いでおいたりした。嫌がらせに関しては、親父はただ笑っていることが多かった。受け止めてくれたことへの感謝の気持ちで今はいっぱいである。

続いて遠距離攻撃。遠距離攻撃にした理由は、もちろんタックルを食らわないためである。親父の射程距離外からの攻撃。これはスーパーロボット大戦でも有効な攻撃方法である。

代表的な遠距離攻撃としては、まず遠目の距離から親父を罵倒する。「あんたの働いてる森林組合ってなんやねん。森林組合って何ですか~?森林組合(笑)」というような理不尽な罵倒をしばらく言い続けると、我慢の限界を越えた親父がこちらに向かって来る。その瞬間に、ポケットに隠しておいたエアガン二丁で西部劇の二丁拳銃のガンマンのように親父をshootした。僕の顔には自然と笑みがこぼれていたと思う。だが徐々にBB弾の痛みに慣れた親父は、急速なスピードで僕との距離を詰めロケットタックルをかましてきた。その後はいつものように馬乗りになられて終わり。松本人志のライブ「寸止め海峡(仮題)」で、板尾創路が『自分が面白かったのは「ランジェリーヤクザの男」で、バズーカの煙の中をこちらに向かって来る松本人志の顔だ』と言っているのを見た時に、自分もBB弾の嵐の中をかいくぐってタックルしてきた時の親父の顔はとても面白かったなぁと思い出した。

エアガンの他にミニ四駆を使った遠距離攻撃もした。車体のフロント部分に先端を外に向けた釘を横一列にびっしりと貼り付けたお手製のアバンテJr(殺人仕様)を作った。大日本プロレスの凶器みたいだ。殺人仕様といっても、釘の長さとミニ四駆の速度を考えると絶対に刺さらない仕様ではあった。縁側で横になって昼寝をしている親父の無防備な背中に向けて遠めからアバンテを発射。発射前は興奮していたが、いざ発射すると急に怖くなった。でも一度走り出したミニ四駆は止まらない。せめて刺さる瞬間は見ないようにしようと目の前のふすまを閉めた。しばらくしても何も起きないので「もしかして殺してしまったのか…」と恐る恐るふすまを開けたら親父が「なんてことを…」という表情でミニ四駆を手に持って立っていた。その後はいつも通りである。荒波と富士山と鶴という派手な模様をしたふすまを開けたら親父が仁王立ちしていた光景は、映画のワンシーンみたいで忘れられない。
f0245642_20585440.jpg


ここまで長々と書いたが、僕がこんなひどいことをしても鬼のように怒ったりしないで、アマレスタックルからの寝技で許してくれるような寛大な親父だったので「今回の耳のおばちゃんの件もそこまで怒ったりしないだろうし、もらってもいつものタックルだな」という軽い気持ちで家に帰ったということが言いたいのだ。

親父との関係は今は非常に良好である。でも今回書いたような自分に都合の悪い思い出話になると、お互いに「覚えてない」の一点張りになる。
[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-15 21:11 | 焼却炉 | Comments(0)

焼却炉 その1   

僕は暗所+閉所恐怖症である。どういう症状なのかを簡単に言えば、新幹線では常に通路側の席で無いと心臓の動悸が激しくなってしまうし、映画館では閉塞感と暗所の恐怖を感じると上映前に外に飛び出すこともよくある。この前は友達の演劇を観に行ったが、会場が狭い上に地下だったのでひどい眩暈と吐き気を催してしまい、会場を飛び出し近場のカラオケ店に逃げ込みトイレでゲロを吐きながら、遠くから聴こえる店内BGMの浜崎あゆみや安室奈美恵なんかの歌を聴いて泣いていたぐらいの恐怖症である。だが昨年末に自分が所属しているけつのあなカラーボーイという団体主催のイベントを地下の狭い場所で開催した時は平気だった。公共の場と違って、辛くなったら誰にも迷惑をかけずにいつでも外に出られる自由な立場に居ることで精神的に閉所を感じていなかったのが良かったのだと思う。

説明が長くなってしまったが、僕がこんな感じの恐怖症になった原因は、昔に親父から受けたしつけである。中学1年の時に悪いことをした僕は、その罰として親父に焼却炉の中に閉じ込められた。まずは僕がしてしまったことを書く。

家の近所の橋のたもとに小さい頃からよく利用していた駄菓子屋があった。一見普通の駄菓子屋なのだけど、お店を一人で切り盛りしているおばちゃんは障害で耳が聞こえない人だった。耳の調子が良い時は少しは聞こえるのだが、全く聞こえない時はお勘定などの会話の全てを筆談で済ましていた。筆談駄菓子屋である。おばちゃんはいつも一人で店番をしているのが寂しいのか、何も買わないで駄菓子屋にたまっていても絶対に怒らなかった。なので子供達からは「耳のおばちゃん」と呼ばれて親しまれていた。近所に住んでたサトミちゃんという交通事故で脳を少しやられたおばさんだけが、耳のおばちゃんのことを「リキ」と呼んでいた。なぜ「リキ」なのかは永遠の謎であり謎のままでいい。そしてサトミちゃんはもうこの話に今後一切登場しない。

中学生の頃、カラオケというものに非常に興味が有った時期に事件は起きた。田舎だったのでカラオケボックス自体が無いし、カラオケ店がある都市部に行くのも距離が遠過ぎた。何かいい考えは無いかとみんなで考えた結果「耳のおばちゃんの店でなら歌いまくっても大丈夫ではないか?」と僕は提案した。その日の学校帰りにみんなで駄菓子屋に行き、いつものように店番をしているおばちゃんの前で「ガラガラへびよ!気をつけてぇ!!」と僕は大声で歌った。おばちゃんは何にも聞こえないようで回覧板を黙々と読んでいた。その瞬間に僕達は放課後のカラオケボックスを手に入れた。

友達の一人が家からラジカセを持って来て、各自歌いたい曲のCDを持ち寄って曲をかけては大合唱をしていた。ちゃんとしたカラオケでは無かったが無料なのだから充分である。途中で喉が渇いたら30円のジュースを買って飲んだ。何も聞こえていないおばちゃんはニコニコと笑ってお勘定をしてくれた。最初の頃は申し訳ない気持ちもあったが、みんなで歌うことの楽しさと駄菓子屋カラオケを発明したことでみんなからかなりの尊敬を集めていることの優越感がそれを打ち消した。カラオケ中に普通にお客さんも来るのだが、順番で見張りをして対応していた。お客が小さい子供の時は、何か言ってきても中学生の腕力でねじ伏せていた。たまに大人や自分達より上の学年の人が来た時だけ歌うのを止めて静かにしていた。

「○時に耳のおばちゃんの所ね」が「カラオケに行く」の隠語として定着してきた頃に、こんな楽しい遊びを自分達の物だけにしとくのはもったいないと思い、友達の兄貴などの信頼できるラインには場所を解放した。この時に友達の兄貴が持って来たテープに入ってたVelvet UndergroundのWhat Goes Onに衝撃を受けて洋楽を熱心に聴くようになった。初体験の相手が車椅子であり、洋楽を聴くきっかけが耳の聞こえないおばちゃんの駄菓子屋だったり、僕の人生の大事な時には障害を持つ人がよく関わっている。

今度はこのカラオケを使ってクラスの可愛い女子をデートに誘ってみようという話になった。この発明でモテモテになるんじゃないかという期待を胸にクラスのマドンナを誘った。その日の昼休みにこの件はマドンナから先生の耳に入ることになった。最初はそんな事実は無いとしらを切ったのだが、これだけ活動していれば目撃証言も多数寄せられており駄菓子屋カラオケは壊滅した。全ての事情を知った耳のおばちゃんは、一切怒らずに「子供のしたことですから…」と許してくれた。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

そして親父との対決がやってくる




[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-15 00:15 | 焼却炉 | Comments(0)

初体験 その7   

帰りのエレベーターの中で、初体験が終わったことをようやく実感していた。それと同時に冷静になった頭で「中で出していいという彼女の言葉が実は嘘で後でお金請求されたらどうしよう…」と焦った。でも親父が「○○先生(県議会議員)のはからいでな!うちが持ってる畑に国道が通ることになるんや!近々大金が入るから貧乏脱出や!」と言ってたことを思い出し「国万歳!国道万歳!○○先生万歳!」と心の中で叫ぶ僕と行きのエレベーターよりもねちっこいボディタッチをして来る彼女を乗せてエレベーターは進んだ。

帰りの計画としては、ホテルを出たらふもとのカラオケボックスまで下りて、実際にカラオケを少しだけして、頃合を見計らってボランティア部の友達に車で迎えに来てもらう。時間をかけて帰りの坂道を下れば、いくらか汗をかいてシャワーを浴びたことも分からなくなってごまかせるだろうと思っていた。

フロントに差し掛かった所で、彼女がいきなりフロントのおばさんに声をかけてタクシーを呼びつけた。タクシー代なんて余裕が無かった僕が詰め寄ったら「ごめんねぇ…実は私お金はけっこう持ってるんだよねぇ…親がこんな身体の私にお金だけは不自由させたくないってさぁ…でもさぁ変な人にお金は使いたくないからねぇ…騙してごめんねぇ…ごめんよぉ…」と彼女は両目を閉じて手を合わせて謝った。「良い人だったしぃ…あんなに私を抱いてくれたからぁ…嬉しかったよぉ…だから帰りのタクシー代は私にせめて出させてぇ!」と頭を下げてお願いしてきた。僕は「ありがとう」と笑顔で答えつつも「この人信用できないかもしれない…もしもの時はほんまに国道に頼るしか…」と国道のことばかり考えていた。

タクシーの運転手は彼女の顔見知りのようで「今日はえらく若い男をつかまえたっちゃねぇ!」と方言丸出しで話しながら彼女を手際よく車に乗せた。動き出したタクシーの中で、彼女と運転手は大声で世間話を始めた。会話に入れない僕は夕暮れ時の海を見ながら二人の会話を聞かないようにしていた。するとしばらくして彼女がいきなり僕の方を向いて「私と付き合ってよぉ!付き合ってよぉ!」と抱きついてきた。僕は一瞬固まった後に、本当に反射的に「ごめんなさい。それは無理です」と断った。しっかり考えた結論と言うよりも、本当に反射的に断ったとしか表現のしようが無い。彼女は僕の返事を聞いてしばらく黙った後に「そうだよねぇ…仕方ないねぇ…」と言った。

運転手も何も話さなくなり重苦しい雰囲気が車内を包んだ。彼女がその沈黙を破って「でもねぇ…あなたよかったよぉ…最初が私みたいな障害を持った女でねぇ…私は最低の女だよぉ…嘘もついたしねぇ…面倒くさいしぃ…だからあなたが次に付き合う人は私よりは絶対に上の女だよぉ!だからどんどん恋した方がいいよぉ!あなた優しいしぃ…私みたいに可愛くない女とたくさんHできるスケベだしねぇ!絶対幸せになるんだよぉ?」と言ってくれた。その言葉を聞きながら僕は自然と泣いてしまった。今日一日のこと、その時々に思ったこと、国道がどうのこうのとか思ってた自分が恥ずかしくなったこと、今の彼女の言葉、その全部がごちゃまぜになって泣きながら「うん…うん…」とうなずいていた。

やがてタクシーが彼女の降りる場所に到着して彼女は無言で降りた。僕も何も言うことができなかった。するとしっかりと車椅子に乗った彼女が僕の方を振り向いて「楽しかったよぉ…ありがとうねぇ!」とそれだけ言って振り返ることなく車椅子を自分の力で押して帰っていった。僕はそれをずっと見ていた。

彼女の居なくなったタクシーの中で、ぼんやりと少年マガジンで連載されていた恋愛漫画の「BOYS BE…」で、年上の女性に誘われるまま初体験をした主人公が、女性の彼氏にバレてボコボコにされた後に路地裏で吐きながら「初体験したって何も世界は変わらないじゃねえか…」みたいなことを言うエピソードのことを思い出していた。そして「さすがに変わった…」と今日一日のことを考えて思った。

自分のアパートに着いてタクシーを降りようとしたら、運転手が「あんた何も間違ってないとよ!気にしたらいかんよ!あの人強いから大丈夫よ!また次の捕まえるけんね!」と声をかけてくれてまた泣きそうになった。その日の夜に居てもたっても居られなくて初めて一人で居酒屋に飲みに行く初体験もした。

その後彼女からは一切も連絡は無かった。僕からも連絡を取ることも無かった。でも街を行く車椅子の人や冬木の写真を見るたびにすぐに彼女のことを思い出す。冬木が死んだ時は冬木だけじゃなくて彼女まで死んだような二人分の悲しみがあった。僕にとって彼女はこれからも忘れられない大切な女性である。

後日談として、その後に最初に僕が付き合った女性は、ヤリマンで新興宗教にはまっている女性だった。「必ず私より上の女と付き合えるからねぇ!」と言ってくれた彼女の言葉が身に刺さった。そのヤリマンと一緒に「ジョゼと虎と魚たち」という映画に行った。すごく簡単に言えば、車椅子の女性と健常者の男性の恋愛の物語である。2人のセックスシーンを見ながら「俺の時と全然違う」と思って笑って、主人公の男がその女性を振ってから泣いている場面を見て「泣いてる気持ちがなんとなく俺には分かるよ」とヤリマンに言ったら「私にも分かる!」と同調されてまた笑った。

また、行きの車を出してくれたボランティア部の友達とは、その後に二人で酒を飲んだ時に、彼に嘘をついているのが辛くなって全てを告白したら、1週間ぐらいで知り合い全員に「千葉の初体験は車椅子」という感じで広まっていた。ボランティアをする奴の行動力は恐ろしい。

さらに関係ない話だが、話に出た国道に関しては、俺と親父がその県会議員の人とちょっとしたトラブルを起こしてしまい、下の図のようにうちの畑だけを綺麗に避けた立派な国道が通ることになるのだが、その話もまたいつかしたいと思う。以上で初体験の話を終わります。
f0245642_2257333.jpg

[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-11 23:13 | 初体験 | Comments(20)

初体験 その6   

結局6時間のフリータイムで6回セックスをした。6回中出し。中出しの興奮も少しはあったかもしれないが、自分の中にあった母親へのトラウマが一気に爆発したことが一番の理由だったと思う。彼女の中出しOKという言葉が全くの嘘なら大変な事態になることも少しは考えたけど、そんなことはどうでもよかった。今が間違いなく自分の人生で最高の瞬間であるという確信がその時の僕を突き動かした。彼女はそんな僕をしっかり受け止めてくれた。体位に関しては「疲れるから正常位だけにしてねぇ」とお願いをされていたので、あれもしたいこれもしたいとわがままを言わずに全て正常位でした。無理をすれば他にもできる体位はあるのだろうけど、極力疲れたくないというのは彼女の本音だったと思う。しかしこれからの人生で6回もするなんてことは絶対に無いだろう。

彼女はセックスの合間合間で梅ガムを食べていた。部屋中に香るきつい梅の匂いをよく覚えている。もし僕とのキスを消毒しているつもりで食べてたら嫌だなぁと少し思っていた。彼女は僕がもう一回とせがむ度に「こんなに何回も求められたの初めてだよぉ…うれしいよぉ…」と笑っては、食べていた梅ガムを紙に包んでベッドの横のサイドテーブルの灰皿に捨てた。ホテルを出る時は都合5個の梅ガムのゴミが灰皿の中にできた。しかし、どうして彼女は僕に梅ガムを一枚もくれなかったのだろう。「梅ガム好きなんだ」とアピールしたのに「そうなんだぁ(ムシャムシャ)」だったのを覚えている。

その他に合間でしたことは、坂道の時にも聞いたが「私は足が不自由なので、童貞を一瞬で見分けれる不思議な能力が発達したんだよぉ」と言う彼女に、僕が言う男性芸能人が童貞かどうかを次々に答えてもらった。答えを聞いても「へぇ」という感想しか持てなかったけど、外国人俳優の名前を出した時に「日本人は当てれるけど外人はそんなに当てれないんだよぉ!」と答えたのには声を出して笑った。

そんなこんなでフリータイムもそろそろ終わるので帰ることになった。「今度は私が先ねぇ」と言って彼女はまた貞子スタイルでシャワールームに向かった。最初に見た時の怖さは無く、何かほほえましい気持ちでその後ろ姿を見送った。彼女の後に僕もシャワーを浴びた。財布や貴重品は今度は隠さずにその場に置いていった。

f0245642_23405287.jpg

料金はフロントで支払うものと思っていたら、そのホテルはエアシューター式の支払いシステムだった。カプセルの中に部屋代金を入れて、部屋に備え付けの発射装置で送信すればフロントにお金が行く仕組みになっているのだ。もちろん僕はそんな装置のことは知らないので困っていたら、彼女が使い方を丁寧に教えてくれた。そして「お願いがあるんだけどぉ…その発射ボタンを押すの好きなんだよぉ!私に押させてくれるぅ?」と言ってきた。僕は快くOKをした。車椅子に乗った彼女が発射ボタンを押す様子は、クレイジーな政治家が核ミサイルのボタンを押すようにも見えた。ボタンを押した後に「しゅごごごぉ!しゅごごごぉ!」と彼女は自分の口で発射音を真似た。そして僕の方を振り返って「しゅごごごぉ!」ともう一回言った。
[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-07 23:48 | 初体験 | Comments(0)

初体験 その5   

三沢光晴のフィニッシュホールドを食らってベッドに横たわる彼女に「すいません…」と謝ると「びっくりしたけど大丈夫だよぉ♪」と彼女はウインクした。人生で初めて女性にウインクをされたのはこの時だった。彼女を寝かせてみて初めて分かったのだが、彼女の顔は正面から見ると冬木弘道だが、角度によっては女優の池上季実子に見えなくもないベストの角度があった。彼女が体を動かしたら僕も体を動かして、できるだけ池上角度を保ったまま初めてのセックスに取りかかった。

f0245642_0122795.jpg


今まで見てきたAVやエロ本の知識を頭の中でおさらいしていると「もしかしてどうしていいか分からないのぉ?」と聞かれたので「すいません…教えてもらえますか?」と答えた。しばらく間があって「まずはキスからねぇ」と言って、甲羅から首を出す亀のような感じで首をこちらに伸ばした。僕は導かれるままにファーストキスをした。キスの味は全くしなかった。「私がタバコを吸わない女で良かったねぇ…ヤニ臭いファーストキスは嫌でしょう?」と言った。その後に彼女はすごく真面目な顔になり「ベッドの上では敬語はやめてねぇ?盛り上がらないよぉ?」と注意をした。僕は「…うん」と答えて、彼女の顔の角度を池上角度に手で調整してからもう一度キスをした。

キスをした後におっぱいを触った。慣れない手つきで揉んだ後に、恐る恐る乳首をチューチューと吸った。最初は照れ臭かったけど、しばらく吸っているうちに自分の中でマグマのような熱い感情が爆発した。

僕が生まれてすぐに、事情があって母親は兄を連れて家を出て行った。母親の暖かさを知らなかった僕は、ある時にテレビで流れたおっぱいを幸せそうに吸う赤ちゃんの映像を見て寂しくて大泣きしてしまった。「僕もおっぱいを吸いたい!」祖母にそう頼み込んでしわしわの祖母のおっぱいを幼稚園から小学校2年生まで吸わせてもらっていたという過去があった。僕が初めて見た女性のおっぱいは祖母のおっぱいだったことをその時に思い出した。この話はまたいつか詳しく書きたいと思う。自分でも忘れかけていた過去を思い出して、母親への憧れがまた爆発してしまった。彼女のおっぱいを僕は一心不乱に吸った。彼女は最初こそびっくりしていたようだったが、何も言わずにそんな僕を抱きしめていてくれた。その時の様子を映像にするなら、アニメ版笑ゥせぇるすまんの第1話のラストのこの一枚になるだろう。

f0245642_0124334.jpg


その後のことは正直あまり覚えていない。おっぱいを吸い過ぎたことで放心状態になっていた僕は、ただ彼女の指示に従ってセックスの一連の行動をこなした。いよいよ挿入となってさすがに若干落ち着いてきた僕に「ビッグニュースがあるよぉ!私はこういう障害を持っているからねぇ~子供作るの嫌なんだよぉ。障害を持った子供が産まれたりしたら嫌でしょぉ?だからぁ子供できないようにしてるんだよぉ!だから中で出していいよぉ?」と彼女は僕の耳元で言った。彼女の思わぬ言葉で冷静な判断ができなくなっていた僕は「嬉しい!」と言った。もう池上角度に彼女の顔を直すことは必要としなかった。僕を受け止めてくれたことで僕は冬木を好きになっていた。
[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-06 00:31 | 初体験 | Comments(0)

初体験 その4   

30分ほどかけて丘の上のラブホテルに無事に到着した。ホテルを利用した経験は無かったのでこの先どうしていいか分からずに少し困っていたら「こっちが入口だよぉ!」と彼女が車椅子を自分で動かしながら案内してくれた。普通に歩いたら彼女を抜いてしまうので、そういうのって地味に傷つくのかなと変な気をつかって彼女を抜かないように少し後ろを歩いた。すると「歩くの遅いよぉ?やっぱり嫌になっちゃったぁ?もしかして逃げるつもりぃ?」と後ろを振り返って言ってきた。夏の暑さで彼女もひどく汗をかいてしまったようで、額の汗で前髪がデコにべっちょりくっついていて試合後の冬木みたいだった。「そんなことはしません」と僕は答えた。

フロントに着くと、フロントのおばちゃんと彼女は顔見知りのようで、世間話を少し交わしてから部屋の鍵を渡してくれた。時間は昼のフリータイムで入ることにした。彼女はセフレとよくこのホテルを利用しているのだそうだ。もしフロントのおばちゃんと彼女がグルになってて、車椅子の女に美人局で騙されたとしたらちょっと面白いなぁと思いながらエレベーターに乗り込んだ瞬間に、これまで一切ボディタッチをしてこなかった彼女が僕の手を握ってきた。「スベスベしてるね」と言われ、少し動転した僕は「親父はもっとスベスベしてるんですよ」とわけのわからないことを言ってたら目的の階にエレベーターが着いた。

これは部屋に入った途端に抱きついてくるAVみたいな展開になるのかなと少し期待して部屋のドアを開けたら、その瞬間にBダッシュみたいな速度で勢いよく車椅子を動かして彼女は部屋に突撃した。そして車椅子を置きやすい広い場所でキッ!と止まって「私はいろいろすることがあるからぁ~先にシャワー浴びてきなよ!」と言った。彼女に近づいて「僕にできることあるなら手伝いますよ。服を脱がせるのとかベッドに乗せるとか…」と言った瞬間に、思いっきり足の向こうずねを彼女にグーで殴られた。「障害持ってるからって気をつかいすぎんじゃないよぉ!本当に助けて欲しい時は自分で言うから変に優しくしないでよねぇ!」と大声で怒られた。僕は彼女の言葉を深く受け止めて自分の非礼を詫びて先にシャワールームに向かった。非礼は詫びたけど彼女を信用していなかったので、財布などの貴重品は彼女が絶対に届かない戸棚の上に隠してシャワーを浴びた。

僕がシャワーを終えて戻ると、彼女はばつが悪そうに「さっきは怒鳴ってごめんねぇ」と謝ってきた。そして「シャワーを浴びてくるねぇ」と言って僕の目の前の床を匍匐前進で這って行った。「一旦車椅子でシャワーの近くまで行って、そこから這ったらいかがですか?」と言いたかったけど、またすねをグーで殴られたら嫌なので黙って見送った。

彼女が机に放り出していたかばんからドナルドダックの財布が見えた。盗むという行為ではなくて、車椅子の女性が何円所持金を持っているのかを純粋な興味として知りたくて、僕の手が財布に伸びかけた時に彼女は帰ってきた。体を拭かずにべちょべちょの濡れた体で床を這って帰ってきた。「シャワーで疲れて体拭く力なくなっちゃったよぉ…」と僕の目の前でうつぶせになった。その様子を見て「貞子…」と思ったが何も言わなかった。

f0245642_12265723.jpg


勇気を出して「体を拭きましょうか?」と聞いたら、若干の間があって「お願いできますかぁ?」と言われた。「失礼します」と一応断ってから犬を可愛がるように床に這いつくばって体から湯気を出している彼女の体を拭いた。後ろを拭き終わったので「今度は前を拭きますね」と言って彼女を引っくり返した。その時に僕は生まれて初めて女性のおっぱいと陰部を見た。あれだけ見たい見たいと思っていた物をまさか引っくり返して見ることになろうなんて思ってもみなかった。見たことの感動は特に何も無かった。ひっくり返したことの面白さの方が勝ってしまった。

その後はお互いに椅子に座って、ホテル備え付けの自動販売機のジュースを飲んだ。「何を飲みますか?」と女性に聞いて「オロナミンCで」と即答されたのは後にも先にもこの時だけである。

いよいよベッドに…となった。彼女が椅子から床に降りてベッドの方に匍匐前進を始めた。ベッドに到着はしたものの、その段差でどうにも腕の力だけで上に登れないようだった。さっきは体を拭かせてもらったけど基本は彼女がヘルプを出すまで何もしないでおこうと、その様子をオロナミンCを飲みながら見守っていたら「早く助けてよねぇ!ずっと思ってたけど気が利かない男だよねぇ!そんなんだから童貞なんだよぉ!」と怒られた。

すぐに彼女の体を持ち上げようとしたが、初めて裸の女性に触れるので緊張した。お尻や陰部をできるだけ触らないように持とうとあたふたしてたら「早くしろよぉ!」と下から急かされた。あわてた僕は無意識にプロレスのボディスラムのような持ち方で抱きかかえてしまった。持ち上げた瞬間に彼女が思っていた倍ぐらい重くて足元がふらつき、股の方に通した手が彼女の陰部に当たっていたので思わず手のフックを外してしまい危険な状態になった。そのままだと固い床の上に落としそうだったので、ベッドに向かって彼女を必死に押し出した。その結果彼女の体は若干回転してしまい、この後の動画のエメラルド・フロウジョンというプロレス技に似た形で彼女をベッドの上に叩きつけてしまった。



僕の初体験はエメラルド・フロウジョンからスタートした。
[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-04 12:40 | 初体験 | Comments(0)

初体験 その3   

待ち合わせ場所は、彼女の家の近くの小さなクリーニング屋の前だった。客が誰も居ない店の前に、夏の強い日差しを防ぐ白い日傘を差して彼女は車椅子に座っていた。サラサラの黒のロングヘアーが風になびいているのが見えた。赤と茶色の柄シャツに短めの深緑のスカートで顔は冬木だった。遠目から見て冬木に似てるなと思いながら近づいて、近くで見たらやっぱり冬木だった。

パグを可愛がる時と同じ感覚で「こんにちは!」と満面の笑顔を作って彼女に挨拶をした。ボランティア部の友人は完璧に募金活動をしている時の声質で「こんにちは!暑いですね!」と挨拶した。彼女は挨拶を返さずに「どっちが千葉さんなんですかぁ?」と聞いてきた。「僕がそうです」と答えたら、彼女は前髪を両手でかき上げてから目に若干の力を込めて僕を見据え「今日は楽しみましょうねぇ」と言った。

ボランティア部の友達についたカラオケに行くという方便は、彼女にも事前に知らせてあったので「あたし今日は何歌おっかなぁ~!」という小芝居も彼女はしてくれた。友達も「デュエットとかしてやれよ~。良い思い出になるぜ~」と僕に小声でアドバイスしてきた。味方は誰も居ないような気持ちになった。

中央車線に寄って走る下手くそな運転のワゴン車が視界から消えるのを確かめてから、少し間を置いて「本当に僕としてくれますか?僕で大丈夫ですか?」と聞いた。彼女は両手で前髪をかき上げてから「するというのはHということですよねぇ?カラオケじゃないですよねぇ?逆に聞きますけどぉ!私とHできますかぁ?」と質問で返してきた。面白い経験をすることで面白い人間になろうという理由のみで、「よろしくお願いします」と僕は答えた。「やった~!じゃあ申し訳ないんですけどぉ。ホテルまで私を後ろから押してもらえますかぁ?」と彼女は満面の笑顔で言った。

夏の照りつける日差しを浴びながら、急な傾斜の坂道を丘の上にあるピンク色のラブホテル目指して車椅子を押した。初めて押す車椅子は力任せに押してもなかなか前に進まなかった。彼女にうまい押し方を教えてもらいながら少しずつ坂を登った。この一歩一歩が初体験につながっているのだと思うと額から流れる汗も気にならなかった。

途中でお互いの自己紹介を改めてした。彼女は28歳の独身。20歳の時に交通事故で車椅子生活になったこと。出会い系で今まで何人も関係を持ってきたこと。でも病気は持ってないから安心して欲しいということ。障害を持ってても性欲は溜まるので僕の友達もセフレとして紹介して欲しいなという希望。「好きな芸能人は誰ですか?」という僕の質問に「スマップの香取君だねぇ!ちなみに香取君は童貞だよぉ!足が不自由だとちょっと見ただけで童貞かどうか分かるんだよねぇ!」という言葉に「そうですか」と答えたりしながら坂を登った。自分でも最低だとは思うが、若干姥捨て山の捨てる方の気持ちが分かったような気がした。

坂の中間地点ぐらいで彼女が「なんだか今さぁ~ゆずの曲がぴったりって感じな雰囲気でいいよねぇ!」と言って、ゆずの「夏色」のメロディを鼻歌で歌いだした。控えめだった鼻歌は徐々に大きな歌声に変わっていった。「夏色」の歌詞は「この長い長い下り坂を君を自転車の後ろに乗せて…」という歌詞だが、現実は「ラブホテルに続く長い長い上り坂を冬木の乗った車椅子を後ろから押して…」であった。最初は完全に無視をしていたのだが、初体験への高まる期待と不安、車椅子を押す疲れなどいろいろな物が一緒になって僕もおかしくなってしまい、僕も彼女と一緒に「夏色」を歌いながらホテルに向かって一心不乱に車椅子を押し始めた。

対向車線を走ってくるラブホテルを利用した帰りの車に乗っているカップルが、一様に見てはいけない物を見たというような顔をしているのが快感だった。セックスの後のカップルの幸せな余韻を打ち消す僕と彼女の行進は変なテンションを保ったまま続いた。


[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-03 06:03 | 初体験 | Comments(0)

初体験 その2   

初体験の話の続き

大学の最初の一年間は友達が全くできなかったが、初めての一人暮らしの解放感で寂しさは全く感じなかった。入学時に配られた新入生全員の自己紹介と顔写真が載っている冊子を使い、4月5月で女子全員をオカズにした。教室に居る女全部が自分がオカズにした女なのが面白くて授業には真面目に出た。自由な生活が本当に楽しかった。

しかし童貞のまま二十歳になった時、今年中に初体験をしないと人生が終わるんじゃないかという脅迫観念に急に襲われた。早く彼女を作ろうと思ったのだけど、大学には友達は少ないし、加えて友達全員に自分が浪人していることを恥ずかしさから隠していたので協力を得ることはできない。どこから僕の一浪情報が漏れるか分からないからだ。かといってナンパをできるような勇気もない小心者の僕には出会い系しかなかった。

携帯の出会い系サイトの掲示板に「僕の童貞を誰か奪ってください」と直球で投稿。何人かの女性から返事は来たのだけど、全てがからかいだった。諦めかけた時に「足に障害を抱えた車椅子の私でもいいですかぁ?それでよければ♪ホテル代と車だけ出してくださいね!」 という返事が来た。

最初は悪戯だろうなと思って警戒したけど、
①当時の僕は面白い経験をすることで面白い人間になれると思っていた。
②パラリンピックで可愛い障害者も居ることを知ってたので多少の期待。
③身体に障害がある人の方が性的に未熟な自分でも主導権を握れるのではないかという計算。
以上のような理由で返事を出したらとんとん拍子で会う話が進んでいった。

ただ一つだけの問題は、彼女がどうしてもラブホテルでのHを希望したことだった。僻地にしかホテルが無い田舎だったので、彼女をホテルに連れて行くにはどうしても車が必要となる。しかし僕は免許を持っていなかったし、タクシーを使うとホテル代が捻出できなくなる、バスはホテルの近くまで走っていない、金を貸してくれる友達も居なかったので手詰まりだった。

悩みに悩んで、体育の授業で知り合ったボランティア同好会に入ってる友達に車を出してもらうことにした。週末は愛車のワゴン車に乗って至る所でボランティア活動。「募金活動の後にみんなで食べる焼肉が美味しい」と言っているような彼なら適当な嘘で車を出してくれそうだと思ったのだ。

「障害者の人との交流活動のボランティアで、車椅子の人とカラオケに行きたいんだ。車を出してくれないか」
とメールを送ったら、2~3分して
「いいねいいね!OK!もう千葉のアパートに向かって出発してる!!」
との返信が来た。

一番近いラブホテルは海沿いの丘のてっぺんに有った。その丘のふもとにあるカラオケボックスにまで行ければあとは何とかなるのだ。

車内にT.M.Revolutionが大音量で流れるワゴン車に乗って、彼女との待ち合わせ場所に僕は向かった。
[PR]

by tsume_kirio | 2013-03-01 20:51 | 初体験 | Comments(0)