カテゴリ:焼却炉( 4 )

焼却炉 その4

親父の怒りの全力パンチを顔面に食らって意識を失った僕は暗闇の中で目を覚ました。何か柔らかい物の上に自分が寝ている事は分かったのだけれど、それが何かは分からない。手足を上下左右にある程度動かせる余裕はあるが、立ち上がろうとしたら堅くて冷たい物が額に当たって起き上がることができなかった。徐々に暗闇に目が慣れてくると、頭上の隙間から若干漏れてくる光で外の様子が少しだけ見えた。その光は地域の集会場に立っている街灯の明かりだった。辺りはもう夜になっているようだ。

集会場は誰かが個人的に所有している場所では無く、周辺に住む人が共同で利用する場所で、家庭でいらなくなった物を置いておく物置があり、欲しい物があったら勝手に持ち帰っても良いことになっていた。一時的な駐車場に使用されたり、捨てられたペットもそこに置いてあればみんなで世話をした。そんな便利な集会場の人気コンテンツとして、近所の製材所の大工さんが自作した地面に穴を掘って作った焼却炉があった。地面に縦横2メートル、深さ1メートルぐらいの穴を掘り、そこにコンクリートを流し込んで側面と底を固めて出来上がり。その上に空気口としての小ぶりなかわいい煙突が付いた鉄製の大きな板を蓋として置く。各家庭がゴミを持ち寄って、ある程度の量になったら燃やしたい人が燃やしていた。僕はその焼却炉の中に放り込まれたようだった。

いくら鉄の蓋とはいえ、中学生の僕なら簡単に持ち上げれる重さのはずなのだが、親父が上から何か重しを乗せているようでどれだけ力を入れても動かなかった。ある程度ジタバタした後に身体を反転させてうつぶせになった。小さい頃から寂しくなるとしている、目をつぶってまぶたの上から眼球を指でぎゅっと強く押すと、きらきら光る星模様や幾何学模様が浮かんでくるという遊びをして気を紛らわさそうとしたのだけど、気が動転して自分がゴミを燃やした灰の上に居たのを忘れていて、顔を灰に突っ込んでしまって咳き込んでしまった。もう一度上を向いて蓋の隙間から漏れる光や外の音に耳をすませて居たら、次第に背中があたたかくなってきた。どうやらこの灰は今日燃やされたばかりのようで、まだ少し熱が残っていて、それが終わりかけのホッカイロぐらいの熱で僕を包んでくれていた。その生温かさと燃え残っているゴミの臭さが少しするこの空間を心地良く感じてしまい、一生ここに住めたら素敵かもしれないと思った。自分が家に居ても親父や婆ちゃんにも迷惑をかけるし学校のみんなにもそこまで必要とされていないからちょうどいいかもしれないと考えた。もしかしたら赤ちゃんがお母さんのお腹の中の羊水に包まれている時は、今の焼却炉の中と同じぐらいの心地よさなのかもしれないなとかバカなことも考えた。

そんなことを考えているうちにある程度気持ちが落ち着いて無性にオナニーがしたくなった。女はどうか知らないけども男は一回抜いてしまえばほとんどのことはどうでも良くなる便利な生き物なのだ。僕は就職試験でも、面接前に控え室で待たされている間に、その会社のトイレに行って一発抜いてくることで何回も試験に合格している。一発抜いたことから来る心の落ち着きがあれば何でも冷静に答えれるし、もし監視カメラで撮られてたら自分は終わりだという危機的状況に比べたら面接の場なんて何も怖くないのだ。オナニーは生きていくうえで有益な別の使い方もあるのだ。

そんなわけでオナニーをするために伸ばした手に触れた自分のチンコの温かさは灰の温かさの何倍も温かく感じたし、言葉にできない落ち着きを僕にくれた。やっぱり最後に信じられるのは自分のチンコだけだ。それと同時に今からするオナニーが人生最後のオナニーになるかもしれないという予感も感じた。最初は下半身がゴミで汚れないようにパンツ前面のチンコを出す所からチンコを出してオナニーをしようとしたのだけど、どうせ死ぬなら、息子をこんな所に閉じ込めたから息子は気が狂ってこんな姿で発見されたと親父にダメージを与えたかったのと、単純に温かい灰を地肌でに感じてみたいという興味でパンツも全部脱いだ。温かい灰がケツの割れ目に食い込んでくる。灰に犯された。思ったほどは気持ち良くなくて残念だった。しかし、下半身裸になったことで密閉された空間である程度の解放感を得られたような気分になった僕は安心して最後のオナニーに取り掛かった。

僕はエロ本やエロビデオを見ながら抜くビジュアルオナニー派ではなくて、妄想だけで抜くイメージ派だったので、暗闇の中でも何の問題も無くオナニーに取り掛かれた。しかし、どうしても頭の中に浮かんでくる女のイメージとして堀ちえみしか浮かんでこない。理由はいまだに分からないのだけど、その時はどうしても堀ちえみのことしか浮かんでこなかったのだ。特に堀ちえみ好きでもないし、親父が熱狂的なファンだったとかそんな理由も無いのに掘ちえみが僕の頭を独占した。人間は極限状態に陥ったら自分が潜在的に好きな本当の女性に気づくのかもしれないと僕は思った。自分が一番好きな女は堀ちえみなんだなと悟った僕は大いにシコった。いつもより激しく上下に動かした手がすっぽ抜けて、上の鉄の蓋に何回か手をぶつけたがその鈍痛すら心地よかった。身体が上下細かく動くたびにケツの隙間に灰も徐々に入ってきた。こんなオナニーはもう一生ないだろうという興奮状態で僕は達した。闇の中へ自分の精をしこたま解き放った。身体を左右に動かして右の闇へ左の闇へ精を放った。本当に本当に気持ちよかった。マイベストオナニー。

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人生最後であり人生最高のオナニーを終えたら頭が冷静になり、尻に食い込む灰の感触が気持ち悪くなって結局ズボンを履いてしまった。そうして一息ついた後に美保純の存在を思い出して僕は激しく落胆した。あれだけ何度もお世話になっていたのに、こんな大事な時に美保さんのことを思い出せなかった僕は肝心な時に役に立たない大馬鹿野郎だと自分を責めた。「どうして最後のオカズが堀ちえみなんだ…」と声に出した瞬間に自分の中で緊張の糸が切れ、今まで何とか抑えてきた死や闇への恐怖が爆発した。僕は「僕が悪かったです!許してください!誰か出してください!ごめんなさい!もう悪いことはしません!」と大声で泣き叫んだ。そうしたら親父は割と近くで様子を見ていたらしくてすぐに外に出してくれた。後からびっくりしたのは、親父の話では、僕が意識を取り戻してから外に出してもらうまでの時間は10分ぐらいだったということだ。人間はたったの10分でここまで考える。人間には可能性がある。人間の思考は無限だと僕は信じています。僕はこの経験で今も引きずるぐらいの閉所+暗所恐怖症になったのですが、焼却炉から出たその後の風呂の中で美保純で抜きました。恐怖症が有っても人は生きていける。大人になってから親父にこのことを話したら「もう結婚とかはしなくていいので人様に迷惑をかけずに生きてくれ」と言われた。

目が覚めたら狭い木箱に閉じ込められていた主人公の脱出劇!というような映画を最近何本か観たけど、どの映画もとりあえずオナニーをするという描写が無かったので何だか残念だなぁと思う。オナニー描写がある箱に閉じ込められてます系の映画を知っている人が居たらぜひ教えてください。
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by tsume_kirio | 2013-04-05 14:37 | 焼却炉 | Comments(2)

焼却炉 その3

怒られる心配はないとは思いつつもちょっとは緊張して帰宅した。家族の様子は普段と何の変わりも無かった。夕食を一緒に食べている時に「学校から電話あったわ…もうあのお店行ったらあかんぞ…」と親父が注意してきたのに「分かった…」と短い返事をして耳のおばちゃんの件は終わった。しかしその後の「校長先生に感謝しいや…」という親父の言葉で一気に頭に血が上った。僕の中学の校長は僕の親戚の叔父さんだった。子供の頃からそんなに仲良くもなかったのに、中学校に入った僕のことを常に気にかけてくれていた。意味も無く校長室に呼び出されて「頑張れよ」と言われたこともあった。頼んでも無いのにそこまでしてくれた理由はいまだに分からない。

ある時、担任の先生のもとに「千葉君が本屋で万引きしてました。盗ってる所をこの目で見ました」というチクリがあった。目撃者は一学年上の不良グループの先輩。先輩は小学校の時からなぜか僕を目の敵にしていて、その時も無い話をでっちあげて僕を困らせようとしたのだ。担任と僕と先輩の三人で職員室の奥の小さな部屋で事実確認をしたが、実際に万引きなどしていなかったので簡単に先輩の虚言だと分かった。後々面倒くさくなるのは嫌なので笑顔で先輩を許して終わりにした。ところがその三日後に、泣き顔の先輩とお母さんが手土産にビニール袋いっぱいのたくさんのネクターのピーチジュースを持って家に謝罪に来た。そして「今回は本当にすみませんでした」と揃って床に頭をつけた土下座をした。その時に校長が裏で何かしたんだろうなと分かった。事実確認は取れなかったけども。

万引きの件のようなことはその後も何回かあった。頼んでも無いのに守られてる安心感。学校の最高実力者が味方。若干皇族に近い身分。最初こそ若干良い気持ちだったが徐々に気持ち悪くなった。中学校になってニキビがひどくなってきた僕。化け物の顔をした僕を可愛そうに思った校長に守られているような被害妄想で頭がいっぱいになった。校長のことが本当に嫌いだった。そんな奴にまた助けられたことへの嫌悪感と、その後に、過去にもう百回ぐらい聞かされた「アマレスがいかに素晴らしいか」という話を親父がまた始めたこと、常に抱えていた母親が居ない寂しさ、家の借金問題、いろいろな気持ちが合わさって僕を限界を迎えた。

僕は無言で席を立ち、裏庭に保管してあったエアガン2丁を取り出して応接間に向かった。そして棚に飾られているたくさんの優勝トロフィーの中から祖父の囲碁大会の物を安全な場所に避難させ、残された親父のアマレストロフィーに向かって至近距離から銃を乱射した。ボロボロになっていく親父の栄光。トロフィーの頂上に付いていたアマレスコスチューム姿の金色の人形が何体かはじけ飛ぶ。音を聞きつけて応接間に来た親父に対して「同じ話何回すんだよ。アマレスハゲ。このアマハゲ野郎」と罵った。その時に親父は初めて僕に鉄拳制裁をした。いつものようにタックルが来ると思って重心を落として構えていた僕の無防備な顔面にクリーンヒットした親父の全力のグーパンチで僕は意識を失った。次に意識を取り戻した時に僕は真っ暗な焼却炉の中に居た。

僕の話によく出てくるエアガンはサンタさんにもらったものだ。クリスマスに、枕元に置いたプレゼントを入れるための靴下の中に「銃が欲しい。2つ欲しい」とサンタさんへのリクエストの手紙を入れておいたら、翌年のクリスマスにエアガンを2つ手に入れた。小学生の息子からの「銃が欲しい」という手紙を読んだサンタ役の親父は自分の子供の行く末を本当に心配したそうである。親父は映画の「シティ・オブ・ゴッド」で銃を持ってギャング化する子供達を観て小さい時の僕を思い出したそうだ。偶然にも、親父をエアガンで撃ってたことを思い出しながら僕も同じ映画を観た。同じ映画を観た親子が、同じ思い出を共有したなんてすごく素敵なことではないだろうか。

余談として、前回に書いたような親父への陰湿な嫌がらせに加えてエアガン乱射などをしていたので、中学2年生の時に、精神科に行くようにと家族に勧められた。気が進まなかったので「診察を受けたらスーファミのソフトを1個買ってもらえる」という条件で病院へ。診察結果は「漫画と映画の…見過ぎですかね…」というものだった。田舎の精神科医は最高だ。病院帰りの車の中で、結果に納得のいかない顔をしていた親父に買ってもらったのが「樹帝戦記」。定価で9000円ぐらいした。あまりに高額だったのでどんなゲームなのか確かめようと思った親父が見守る中でこのゲームをした。全然面白くなかったのだけども、買ってもらった手前楽しそうにプレイして親父に気をつかっていたことを覚えている。
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by tsume_kirio | 2013-03-19 19:51 | 焼却炉 | Comments(10)

焼却炉 その2

当時の親父との関係性について今回は書こうと思う。

祖父と親父に対する反抗期は小学校の中学年から始まっていた。2人とも男尊女卑的な考えが少し強い人なので、家族で唯一の女性である祖母に対して辛く当たることが多かった。母親の居ない僕を甘やかし気味にしている祖母の態度も気に入らなかったようだ。祖母のおっぱいを母親のおっぱいに見立てて吸っていたぐらいのおばあちゃん子の僕にとっては、それだけで2人のことを嫌いになるのに充分な理由だった。

でも祖父はなんだかんだ言っても、孫の僕に対して優しい時も多かったし、裏庭を通りかかった近所の宗教をしている家族が「良い機会だから…」と勧誘をしてきた時に、庭に置いてあった祖父が趣味でしていた椎茸栽培のホダ木を「罰当たりが!帰らんか!」とその家族に投げつけていた男前な姿は、子供の僕の目には格好良く映ったりもしたので尊敬していた。
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親父は僕の世話は祖母に任せっきりだった。というよりは、子供にどう接していいのかが分からないような感じだった。休みの日に遊びに連れて行ってくれることも少なかった。小学校低学年の時に「空を飛びたい」と子供らしいことを言った僕の背中に、親父はオニヤンマを数匹入れてきた。背中に感じるトンボの気持ち悪い感触で泣き叫ぶ僕に「もう少しで飛べるぞ!飛べるぞ!」とラムネを飲みながら笑っていた親父の顔をしっかり覚えている。床を転げ回ったのでトンボはぺちゃんこに潰れ僕の背中にベットリと貼り付いた。その死骸を祖母が丁寧に取ってくれてる横で、親父はNHKのど自慢を大きな声で自己採点しながら見ていた。そんな風にたまにいじめられることを当時は恨んでいたのだが、自分が三十歳を越えた今になって思うと、あの時は親父も大変な時期だったんだろうなと普通に許せてしまうので不思議である。

小学校高学年になって身体が少し大きくなると、親父への直接的な反抗活動を開始した。よく取っ組み合いを仕掛けたのだが、うちの親父は大学時代にアマレスでオリンピック候補になりかけたぐらいの経歴を持っている人なので、アマレス流のタックルでいとも簡単に僕を地面に叩きつけ、上から全体重をかけてきて、それに耐えれなくなった僕が「まいった」と言って喧嘩はいつも終わった。
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親父はあんまり感情を出さないタイプの人だけど、喧嘩の時はいきいきとしていた。今思えば喧嘩では無くて、こういう形でしか僕とコミュニケーションを取れなかったのかもしれない。親父にもいろいろあったのだ。でもそんなことをまだ分からない僕は親父への反抗を続ける。まともにやっても勝てないことを悟った僕は、陰湿な嫌がらせと遠距離攻撃で親父に立ち向かうことにした。

毎週土曜日に、親父と祖父は囲碁を打つ習慣があった。囲碁には白石と黒石が有り、基本的に弱い方が黒石を使うことになっている。祖父は県大会で優勝するぐらいの実力者だったので、いつも親父が黒石を使っていた。なので、黒石を入れておく碁笥(ごけ)という入れ物の底に事前にマヨネーズを注いでおき、対局終盤で石を取ろうとした親父の指がマヨネーズだらけになるような嫌がらせをよくした。マヨネーズに飽きたら熱湯を注いでおいたりした。嫌がらせに関しては、親父はただ笑っていることが多かった。受け止めてくれたことへの感謝の気持ちで今はいっぱいである。

続いて遠距離攻撃。遠距離攻撃にした理由は、もちろんタックルを食らわないためである。親父の射程距離外からの攻撃。これはスーパーロボット大戦でも有効な攻撃方法である。

代表的な遠距離攻撃としては、まず遠目の距離から親父を罵倒する。「あんたの働いてる森林組合ってなんやねん。森林組合って何ですか~?森林組合(笑)」というような理不尽な罵倒をしばらく言い続けると、我慢の限界を越えた親父がこちらに向かって来る。その瞬間に、ポケットに隠しておいたエアガン二丁で西部劇の二丁拳銃のガンマンのように親父をshootした。僕の顔には自然と笑みがこぼれていたと思う。だが徐々にBB弾の痛みに慣れた親父は、急速なスピードで僕との距離を詰めロケットタックルをかましてきた。その後はいつものように馬乗りになられて終わり。松本人志のライブ「寸止め海峡(仮題)」で、板尾創路が『自分が面白かったのは「ランジェリーヤクザの男」で、バズーカの煙の中をこちらに向かって来る松本人志の顔だ』と言っているのを見た時に、自分もBB弾の嵐の中をかいくぐってタックルしてきた時の親父の顔はとても面白かったなぁと思い出した。

エアガンの他にミニ四駆を使った遠距離攻撃もした。車体のフロント部分に先端を外に向けた釘を横一列にびっしりと貼り付けたお手製のアバンテJr(殺人仕様)を作った。大日本プロレスの凶器みたいだ。殺人仕様といっても、釘の長さとミニ四駆の速度を考えると絶対に刺さらない仕様ではあった。縁側で横になって昼寝をしている親父の無防備な背中に向けて遠めからアバンテを発射。発射前は興奮していたが、いざ発射すると急に怖くなった。でも一度走り出したミニ四駆は止まらない。せめて刺さる瞬間は見ないようにしようと目の前のふすまを閉めた。しばらくしても何も起きないので「もしかして殺してしまったのか…」と恐る恐るふすまを開けたら親父が「なんてことを…」という表情でミニ四駆を手に持って立っていた。その後はいつも通りである。荒波と富士山と鶴という派手な模様をしたふすまを開けたら親父が仁王立ちしていた光景は、映画のワンシーンみたいで忘れられない。
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ここまで長々と書いたが、僕がこんなひどいことをしても鬼のように怒ったりしないで、アマレスタックルからの寝技で許してくれるような寛大な親父だったので「今回の耳のおばちゃんの件もそこまで怒ったりしないだろうし、もらってもいつものタックルだな」という軽い気持ちで家に帰ったということが言いたいのだ。

親父との関係は今は非常に良好である。でも今回書いたような自分に都合の悪い思い出話になると、お互いに「覚えてない」の一点張りになる。
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by tsume_kirio | 2013-03-15 21:11 | 焼却炉 | Comments(0)

焼却炉 その1

僕は暗所+閉所恐怖症である。どういう症状なのかを簡単に言えば、新幹線では常に通路側の席で無いと心臓の動悸が激しくなってしまうし、映画館では閉塞感と暗所の恐怖を感じると上映前に外に飛び出すこともよくある。この前は友達の演劇を観に行ったが、会場が狭い上に地下だったのでひどい眩暈と吐き気を催してしまい、会場を飛び出し近場のカラオケ店に逃げ込みトイレでゲロを吐きながら、遠くから聴こえる店内BGMの浜崎あゆみや安室奈美恵なんかの歌を聴いて泣いていたぐらいの恐怖症である。だが昨年末に自分が所属しているけつのあなカラーボーイという団体主催のイベントを地下の狭い場所で開催した時は平気だった。公共の場と違って、辛くなったら誰にも迷惑をかけずにいつでも外に出られる自由な立場に居ることで精神的に閉所を感じていなかったのが良かったのだと思う。

説明が長くなってしまったが、僕がこんな感じの恐怖症になった原因は、昔に親父から受けたしつけである。中学1年の時に悪いことをした僕は、その罰として親父に焼却炉の中に閉じ込められた。まずは僕がしてしまったことを書く。

家の近所の橋のたもとに小さい頃からよく利用していた駄菓子屋があった。一見普通の駄菓子屋なのだけど、お店を一人で切り盛りしているおばちゃんは障害で耳が聞こえない人だった。耳の調子が良い時は少しは聞こえるのだが、全く聞こえない時はお勘定などの会話の全てを筆談で済ましていた。筆談駄菓子屋である。おばちゃんはいつも一人で店番をしているのが寂しいのか、何も買わないで駄菓子屋にたまっていても絶対に怒らなかった。なので子供達からは「耳のおばちゃん」と呼ばれて親しまれていた。近所に住んでたサトミちゃんという交通事故で脳を少しやられたおばさんだけが、耳のおばちゃんのことを「リキ」と呼んでいた。なぜ「リキ」なのかは永遠の謎であり謎のままでいい。そしてサトミちゃんはもうこの話に今後一切登場しない。

中学生の頃、カラオケというものに非常に興味が有った時期に事件は起きた。田舎だったのでカラオケボックス自体が無いし、カラオケ店がある都市部に行くのも距離が遠過ぎた。何かいい考えは無いかとみんなで考えた結果「耳のおばちゃんの店でなら歌いまくっても大丈夫ではないか?」と僕は提案した。その日の学校帰りにみんなで駄菓子屋に行き、いつものように店番をしているおばちゃんの前で「ガラガラへびよ!気をつけてぇ!!」と僕は大声で歌った。おばちゃんは何にも聞こえないようで回覧板を黙々と読んでいた。その瞬間に僕達は放課後のカラオケボックスを手に入れた。

友達の一人が家からラジカセを持って来て、各自歌いたい曲のCDを持ち寄って曲をかけては大合唱をしていた。ちゃんとしたカラオケでは無かったが無料なのだから充分である。途中で喉が渇いたら30円のジュースを買って飲んだ。何も聞こえていないおばちゃんはニコニコと笑ってお勘定をしてくれた。最初の頃は申し訳ない気持ちもあったが、みんなで歌うことの楽しさと駄菓子屋カラオケを発明したことでみんなからかなりの尊敬を集めていることの優越感がそれを打ち消した。カラオケ中に普通にお客さんも来るのだが、順番で見張りをして対応していた。お客が小さい子供の時は、何か言ってきても中学生の腕力でねじ伏せていた。たまに大人や自分達より上の学年の人が来た時だけ歌うのを止めて静かにしていた。

「○時に耳のおばちゃんの所ね」が「カラオケに行く」の隠語として定着してきた頃に、こんな楽しい遊びを自分達の物だけにしとくのはもったいないと思い、友達の兄貴などの信頼できるラインには場所を解放した。この時に友達の兄貴が持って来たテープに入ってたVelvet UndergroundのWhat Goes Onに衝撃を受けて洋楽を熱心に聴くようになった。初体験の相手が車椅子であり、洋楽を聴くきっかけが耳の聞こえないおばちゃんの駄菓子屋だったり、僕の人生の大事な時には障害を持つ人がよく関わっている。

今度はこのカラオケを使ってクラスの可愛い女子をデートに誘ってみようという話になった。この発明でモテモテになるんじゃないかという期待を胸にクラスのマドンナを誘った。その日の昼休みにこの件はマドンナから先生の耳に入ることになった。最初はそんな事実は無いとしらを切ったのだが、これだけ活動していれば目撃証言も多数寄せられており駄菓子屋カラオケは壊滅した。全ての事情を知った耳のおばちゃんは、一切怒らずに「子供のしたことですから…」と許してくれた。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

そして親父との対決がやってくる




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by tsume_kirio | 2013-03-15 00:15 | 焼却炉 | Comments(0)