キャットウーマンだけ居ればいい

先日の快晴の土曜日、いつもお世話になっている方に招待され、上野の東京国立博物館にて開催されている鳥獣戯画展へと足を運んだ。国宝である鳥獣戯画に加え、鳥獣戯画が伝来した京都の高山寺に残る美術作品を一挙に集めた展示会とのことだった。元来美術という物に何の興味もない自分にとって展覧会というのは他流試合のような殺伐としたものであるので、それなりの服装をしていかなくては場に食われてしまう。色々思案した結果マサ斎藤のTシャツに袖を通した。マサ斎藤の信条である「Go for broke」(当たって砕けろ)の心持ちで国宝と向き合うことに決めた。
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会場に着くと人、人、人の長蛇の列。入場までに屋外で1時間、入場後に鳥獣戯画の展示室に入る為に館内でさらに3時間程並ばないといけないとのこと。紫外線対策として日傘の無料貸出、中継地点に給水所まであるという万全の態勢を敷いていたので大きな混乱は起きていないようであった。しかし、給水所を作るという機転が利くのなら、どうして水ではなく日本茶を振舞うという粋な計らいができなかったのだろうか。こういう状況だからこそ、キンキンに冷えた日本茶を飲むことで、茶のすばらしさを再確認し、日本人であることの喜びを感じれるのだ。外国の方にも良いアピールとなるだろう。水ではいかんのだ。国立の博物館に勤めているのだからそれぐらいの考えには至るべきである。展示会の準備が終わった後、飾られた鳥獣戯画を見ながら「素敵だね…」と言いながらお互いの手を握り合ってるような社内恋愛カップルしか居ないのだろうか。お前らはまんだらけのバイトか。肉屋は仕事中に肉を食べないのだぞ。お前らは肉屋以下だ。ちゃんとした博物館を運営するのであれば、性欲を一切持たない物達をスタッフにするべきだ。「美」を作る時に性欲は大きな武器だが「美」を運営する時に性欲は邪魔になる。性欲の先に日本の心がある。全員インポにしよう。「当館のスタッフはインポかセックスレスです」という博物館があったら私は毎週通うだろう。そんなことを考えていたら左半身が痺れ出した。最近になって分かったのだが、この痺れは自律神経失調症からの痺れだそうだ。精神的ストレスを感じることで自律神経が乱れ、血管が収縮し血液の流れが悪くなるのだ。私は他人の悪口を言っている時は常に左半身が痺れている。理不尽な悪意を一方的に撒き散らしながら、痺れる身体を引きずって生きていく。私に近づく人はもらい事故に遭うことは覚悟して頂きたい。
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入場した後は順路に従い、掛け軸やら仏像やら絵巻物やらを鑑賞した。芸術が分からない私でも興味深く思える展示物がたくさんあった。特に子犬という木彫の置物は非常に良かった。良かった理由は犬だからだ。それ以外の理由は必要ないだろう。他に印象に残ったのは、国宝の絵巻物に書かれていた竜宮城にありがたい経典を取りに行った男の話。経典が水に濡れないようにする為だけに自分の足のすねを切り裂き、足の中に経典を入れて持ち帰った場面が馬鹿で良かった。是非この話をロバート・ロドリゲス辺りに映画化してもらいたい。足に経典を入れるシーンだけ何度も見るだろう。鳥獣戯画については特に感想は無いのだが、世界的に有名な国宝の前にマサ斎藤のTシャツを着て立てたということは私の人生で大事な節目になった。これぞ「Go for broke」(当たって砕けろ)だ。
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展示物を一通り見終わった後、身体の痺れを休めながら他の客を観察した。博物館デートを楽しんでいるいかにもといった美大系カップルが多く見られた。この展示を見る前にセックスをしてきたのだろうか、それともこの展示会の後にセックスをするのだろうか。「セックスの前に国宝なし、セックスの後にも国宝なし、本当の芸術とは国宝を見ながらするセックスである。そこに至るには何が必要か。それは金でしかない。金という権力を掴んだ者でしか国宝を見ながらのセックスはできない。絵を描くのも良いけどね、まずバイトを頑張りなさい。遠回りもいいもんだよ」と心の中でつぶやいた。仏像を見ながら「ポールスミス…」とつぶやいている男が居た。その感覚を大事にして生きていって欲しい。以上。少し遠めにワンショルダーの服を着ているババアが見えた。国宝展にワンショルダーとはどういうつもりだ。お前はアンドレ・ザ・ジャイアントか。国賊め。腹を切れ、ワンショルダーの白装束で腹を切れ。この展示会に来ている女性はシブガキ隊でいえばモックンのことが好きな奴ばかりだろうか。片岡鶴太郎のことが好きだとかいう女も居るのだろう。そいつらに「ではモックンと鶴太郎とどちらかとセックスできるならどっちがいいか?」と聞いたらば、ほとんどがモックンと答えるだろう。それが鶴太郎の限界なのだ。芸術の限界だ。私は鶴太郎の限界を鳥獣戯画展に見た。鶴太郎はそれでも生きている。なので私も生きる。
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身体の痺れを紛らわす為に鳥獣戯画展の会場を離れ、本館に展示されている日本刀を見に行った。目の前で輝く日本刀を見ながら、自分の中にある武士道について今一度考えた。私だけの武士道。私は年上とカラオケに行った時、年上が歌っている時は絶対にトイレには行かない。目上が歌っている時に席を立つのはいかなる理由があっても失礼なことである。私だけの武士道。たとえばゲイにレイプされそうになった時、甘んじて尻を犯されるのではなく、最高のフェラをすることで相手の精子を尽きさせて自分の尻を守るのが私の武士道。最後まで望みを捨てずに戦うのが武士道。1回レイプされた失敗を生かさずにまたレイプされてしまった女性を笑って受け止めるのが私の武士道。いや、上岡龍太郎が昔やっていた幽霊を見た人を50人集めて激論を戦わせる番組のように、2回レイプされてしまった人を50人集めて「だから2回されちゃうんだよ!」と50回言いたい。いや50回は言いたくない。本当に悪いのはレイプ犯だ。それぐらいは分かっている。ただ目の前の日本刀の輝きだけは本物だ。ニガーよ、日本刀は最高だ。
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鳥獣戯画展に戻ると、鳥獣戯画がプリントされたTシャツを嬉しそうに買っている人が居た。なんとも言えない悲しい気持ちになった。どうしてこいつが生き続けて、桃井望が死なないといけなかったのだ。ニガーよ、桃井望は最高のAV女優だった。徐々に酷くなる左半身の痺れに耐えながら、帰りの電車の中で桃井望が殺された事件の現在の捜査状況を検索する。解決の糸口は見えていない。両目を閉じて桃井望の成仏を祈った後、携帯のメモ帳に「ジャンボ鶴田のTシャツを買う」と打ち込んだ。最近物忘れがひどい。自分の老いを感じ、間寛平の動画を何本か見たがぴくりとも笑えなかった。まだ写真を趣味にしようとも思わない。まだ大丈夫だ。今日思ったことは明日には全部忘れているような毎日だが、明日は阿佐ヶ谷の釣堀に行く。左半身が痺れてる男に釣られてしまう魚を見て笑うのだ。
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by tsume_kirio | 2015-06-06 23:34 | 人生の終わり | Comments(0)