焼却炉 その1

僕は暗所+閉所恐怖症である。どういう症状なのかを簡単に言えば、新幹線では常に通路側の席で無いと心臓の動悸が激しくなってしまうし、映画館では閉塞感と暗所の恐怖を感じると上映前に外に飛び出すこともよくある。この前は友達の演劇を観に行ったが、会場が狭い上に地下だったのでひどい眩暈と吐き気を催してしまい、会場を飛び出し近場のカラオケ店に逃げ込みトイレでゲロを吐きながら、遠くから聴こえる店内BGMの浜崎あゆみや安室奈美恵なんかの歌を聴いて泣いていたぐらいの恐怖症である。だが昨年末に自分が所属しているけつのあなカラーボーイという団体主催のイベントを地下の狭い場所で開催した時は平気だった。公共の場と違って、辛くなったら誰にも迷惑をかけずにいつでも外に出られる自由な立場に居ることで精神的に閉所を感じていなかったのが良かったのだと思う。

説明が長くなってしまったが、僕がこんな感じの恐怖症になった原因は、昔に親父から受けたしつけである。中学1年の時に悪いことをした僕は、その罰として親父に焼却炉の中に閉じ込められた。まずは僕がしてしまったことを書く。

家の近所の橋のたもとに小さい頃からよく利用していた駄菓子屋があった。一見普通の駄菓子屋なのだけど、お店を一人で切り盛りしているおばちゃんは障害で耳が聞こえない人だった。耳の調子が良い時は少しは聞こえるのだが、全く聞こえない時はお勘定などの会話の全てを筆談で済ましていた。筆談駄菓子屋である。おばちゃんはいつも一人で店番をしているのが寂しいのか、何も買わないで駄菓子屋にたまっていても絶対に怒らなかった。なので子供達からは「耳のおばちゃん」と呼ばれて親しまれていた。近所に住んでたサトミちゃんという交通事故で脳を少しやられたおばさんだけが、耳のおばちゃんのことを「リキ」と呼んでいた。なぜ「リキ」なのかは永遠の謎であり謎のままでいい。そしてサトミちゃんはもうこの話に今後一切登場しない。

中学生の頃、カラオケというものに非常に興味が有った時期に事件は起きた。田舎だったのでカラオケボックス自体が無いし、カラオケ店がある都市部に行くのも距離が遠過ぎた。何かいい考えは無いかとみんなで考えた結果「耳のおばちゃんの店でなら歌いまくっても大丈夫ではないか?」と僕は提案した。その日の学校帰りにみんなで駄菓子屋に行き、いつものように店番をしているおばちゃんの前で「ガラガラへびよ!気をつけてぇ!!」と僕は大声で歌った。おばちゃんは何にも聞こえないようで回覧板を黙々と読んでいた。その瞬間に僕達は放課後のカラオケボックスを手に入れた。

友達の一人が家からラジカセを持って来て、各自歌いたい曲のCDを持ち寄って曲をかけては大合唱をしていた。ちゃんとしたカラオケでは無かったが無料なのだから充分である。途中で喉が渇いたら30円のジュースを買って飲んだ。何も聞こえていないおばちゃんはニコニコと笑ってお勘定をしてくれた。最初の頃は申し訳ない気持ちもあったが、みんなで歌うことの楽しさと駄菓子屋カラオケを発明したことでみんなからかなりの尊敬を集めていることの優越感がそれを打ち消した。カラオケ中に普通にお客さんも来るのだが、順番で見張りをして対応していた。お客が小さい子供の時は、何か言ってきても中学生の腕力でねじ伏せていた。たまに大人や自分達より上の学年の人が来た時だけ歌うのを止めて静かにしていた。

「○時に耳のおばちゃんの所ね」が「カラオケに行く」の隠語として定着してきた頃に、こんな楽しい遊びを自分達の物だけにしとくのはもったいないと思い、友達の兄貴などの信頼できるラインには場所を解放した。この時に友達の兄貴が持って来たテープに入ってたVelvet UndergroundのWhat Goes Onに衝撃を受けて洋楽を熱心に聴くようになった。初体験の相手が車椅子であり、洋楽を聴くきっかけが耳の聞こえないおばちゃんの駄菓子屋だったり、僕の人生の大事な時には障害を持つ人がよく関わっている。

今度はこのカラオケを使ってクラスの可愛い女子をデートに誘ってみようという話になった。この発明でモテモテになるんじゃないかという期待を胸にクラスのマドンナを誘った。その日の昼休みにこの件はマドンナから先生の耳に入ることになった。最初はそんな事実は無いとしらを切ったのだが、これだけ活動していれば目撃証言も多数寄せられており駄菓子屋カラオケは壊滅した。全ての事情を知った耳のおばちゃんは、一切怒らずに「子供のしたことですから…」と許してくれた。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

そして親父との対決がやってくる




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by tsume_kirio | 2013-03-15 00:15 | 焼却炉 | Comments(0)